Louis Sognot Table basse 1955
※sold item※
Louis Sognot Table basse tripode 1955
フランス 1955年
ルイ・ソニョ
ガラストップコーヒーテーブル
フレンチミッドセンチュリーのなかでもデザインに様々な要素を取り入れた
非常に重要なデザイナー、ルイ・ソニョによるデザインの
コーヒーテーブルです。
どの角度から見てもデザイン細部がはっきりと強調され、
様々な角度から見たこのテーブルのデザインを
どの角度から見てもまるで絵画のように一つの画面に収めるようなデザイン。
キュビズムからの影響を強く受けた、まさに彼の真骨頂といえる独特なデザインです。
一見複雑に見える構造はとてもシンプルで、機能性も考慮された
アート作品とも言える、素晴らしいデザインのテーブルです。
特に、1925年のパリ万博で発表した作品は、
近代化アートの影響を強く感じさせる作品となっており、
このパリ万博で「近代インダストリー・装飾アート部門」でグランプリを受賞。
1926年、ブリュメンタル賞(慈善活動家フローランス・ブリュメンタル(女性)が発起人。1919年から1955年の間に開催された様々な分野(作家・音楽家も対象)のアーティストを称える賞)を獲得。
1930年、モダンアーティスト協会加入。
メタル素材のキュビズム家具で活躍しながら、
非常に重要なデザイナー、ルイ・ソニョによるデザインの
コーヒーテーブルです。
どの角度から見てもデザイン細部がはっきりと強調され、
様々な角度から見たこのテーブルのデザインを
どの角度から見てもまるで絵画のように一つの画面に収めるようなデザイン。
キュビズムからの影響を強く受けた、まさに彼の真骨頂といえる独特なデザインです。
一見複雑に見える構造はとてもシンプルで、機能性も考慮された
アート作品とも言える、素晴らしいデザインのテーブルです。
ルイ・ソニョ(1892-1970)
生まれ、パリ。78歳没、パリ。
パリのベルナール・パリシー芸術学校にて家具作りを学ぶ。
パリのベルナール・パリシー芸術学校にて家具作りを学ぶ。
パリの百貨店プランタンに、プリマヴェラ(伊語で春の意。ここでは特に
アールデコのアーティストが集結したアトリエの名。
プランタンとの協同で、芸術と職人技と百貨店の境を取り払って
店内インテリア装飾を改装。目的:モダンアートの雰囲気だった店内インテリアを
また少し時代をクラシカルに戻しましょう、という発想から)
というアールデコのアトリエの作業を引き継ぐために就職。
アールデコのアーティストが集結したアトリエの名。
プランタンとの協同で、芸術と職人技と百貨店の境を取り払って
店内インテリア装飾を改装。目的:モダンアートの雰囲気だった店内インテリアを
また少し時代をクラシカルに戻しましょう、という発想から)
というアールデコのアトリエの作業を引き継ぐために就職。
当時のアート界での近代建築化の流行に影響され、素早くキュビズム
(20世紀初期に多くのアーティストの間で大流行。各面がはっきり強調され、
視覚に訴えるもの。絵画ではピカソとブラックが有名。
いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収める描画法)
の作品を取り入れました。
(20世紀初期に多くのアーティストの間で大流行。各面がはっきり強調され、
視覚に訴えるもの。絵画ではピカソとブラックが有名。
いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収める描画法)
の作品を取り入れました。
特に、1925年のパリ万博で発表した作品は、
近代化アートの影響を強く感じさせる作品となっており、
このパリ万博で「近代インダストリー・装飾アート部門」でグランプリを受賞。
1926年、ブリュメンタル賞(慈善活動家フローランス・ブリュメンタル(女性)が発起人。1919年から1955年の間に開催された様々な分野(作家・音楽家も対象)のアーティストを称える賞)を獲得。
1930年、モダンアーティスト協会加入。
メタル素材のキュビズム家具で活躍しながら、
モダニズム(キュビズムが各面がはっきり強調され、視覚に訴えるものなのに対し、
モダニズムはシンプルで宗教・国籍的な要素がなく機能性重視 )
の建築・家具デザイン第一人者マルセル・ブロイヤーと知り合い、1920年代末期には、モダニズムも取り入れたソニョ独自の作品を作り始め、
メタル素材と革を使用した肘掛け椅子を発明。
メタル素材を使用しつつ、研究所の家具のような無機質なスタイルを避け、
装飾アーティスト展示会(1926年)からの「フランスらしい特徴を取り入れる」との
要求に応え、メタル家具のシリーズを製作。
メタル素材を使用しつつ、研究所の家具のような無機質なスタイルを避け、
装飾アーティスト展示会(1926年)からの「フランスらしい特徴を取り入れる」との
要求に応え、メタル家具のシリーズを製作。
1935年、ブリュッセル(ベルギー)万博で、「若者の家 La maison du jeune homme」をル・コルビュジエ、シャルロット・ペリアン、
ピエール・ジャンヌレ、ルネ・エルブストら錚々たるメンバーと共に発表展示。
ピエール・ジャンヌレ、ルネ・エルブストら錚々たるメンバーと共に発表展示。
1937年のパリ万博では、中流階級を対象としたインテリア・家具を発表。
この万博の展示では、ソニョはディスプレイ部門の最高責任者を務めており、
社会の一部である上流階級だけでなく中流階級にも親しんでもらうことで
世間に流行させる狙いがありました。
1939年、リーズナブルであることを目的とした、全て籐で作った家具をディスプレイしたホテルの一室を発表。この企画は戦争により中断されるが、1945年に再開。
この時の籐は明るい色が特徴。
メタル素材の家具も定期的に製作。
この万博の展示では、ソニョはディスプレイ部門の最高責任者を務めており、
社会の一部である上流階級だけでなく中流階級にも親しんでもらうことで
世間に流行させる狙いがありました。
1939年、リーズナブルであることを目的とした、全て籐で作った家具をディスプレイしたホテルの一室を発表。この企画は戦争により中断されるが、1945年に再開。
この時の籐は明るい色が特徴。
メタル素材の家具も定期的に製作。
1960年代まで精力的に活動していました。
1958年のブリュッセル万博で発表した豪華な作品を1960年に本で出版。
ソニョは指導者としても大変有名でした。
1926年~ Ecole Boulleで装飾芸術の教師
Dupérre技術専門中学校の教師
1938年~ 芸術工業高等専門学校の教師
1947年~ 装飾芸術高等専門学校の製作場責任者
1947年~ 装飾芸術総合中央学校の校長
※学校は全てパリ
1926年~ Ecole Boulleで装飾芸術の教師
Dupérre技術専門中学校の教師
1938年~ 芸術工業高等専門学校の教師
1947年~ 装飾芸術高等専門学校の製作場責任者
1947年~ 装飾芸術総合中央学校の校長
※学校は全てパリ
※彼が影響を受けたキュビズムとモダニズムのわかりやすい例として
下記の画像を参照ください。
キュビズム
モダニズム
今回ご紹介のテーブルはまさにキュビズムとモダニズムの2つの要素
がバランスよく同居した秀逸なデザインです。
キュビズム
モダニズム
フランスらしさ
オーク材×ガラス×スチール
構造確認後修復済み
W822×D650×H447